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寒ざらし蕎麦粉 販売について 2016年

目次

寒ざらし蕎麦粉販売開始いたしました。

■極寒のしごき!信州寒ざらし蕎麦

極寒の寒さの中、美ヶ原の清流で晒(さら)した「寒ざらし蕎麦(かんざらしそば)」
私たち蔵の粉屋大西製粉と信州せいしゅん村様と取り組み始めて今年で11年目の挑戦です。

⇒寒ざらしの作業風景はこちらをご覧ください。

清流に10日間晒すことで蕎麦に含まれる「渋あく」が良質なタンパク質に変幻すると言われております。
一口この蕎麦を啜れば、その雑味の取れた蕎麦の甘みに、思わずため息が出るほどです。
この蕎麦粉で蕎麦を打たれた方からも「滋味深い!」「美味しくて黙る!」そんなコメントを頂きます。

そもそも「寒ざらし蕎麦」というのは、思いつきで製造した製法ではありません。
江戸時代の文献による記述により、復活した伝統的製法です。

さかのぼる事、江戸時代、信州高遠藩が江戸の徳川将軍への献上品の一つとして、暑中に贈ったとの記載があります。

■将軍様しか食べられない極上のそば

蕎麦の文化が花開いた江戸時代、江戸の町では立ち食いの蕎麦屋が一世を風靡していました。
冷蔵設備のない江戸時代なので、夏場には蕎麦の品質の劣化は避けられないものだったでしょう。
庶民は夏場の不味い蕎麦を、「蕎麦はのどこしで食べるもんだー」とごまかしながら、食べていました。

そこで

信州高遠藩は蕎麦を流水に晒して、アクを取り除いてから、製粉するという製法を考え、
庶民では手に入らないような蕎麦を作り上げたのだと思います。

「将軍様しか食べられない極上の蕎麦」
江戸の庶民たちは食べたかったでしょうね。

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■信州そばから全国のご当地蕎麦へ

高遠藩と言えば初代藩主は徳川家光の異母兄弟で知られる保科正之、
のちに会津藩に移封となり、会津で「高遠そばの文化」を広げた人物です。
水戸の徳川光圀(水戸黄門)様に影響を与え、いまの茨城のそばの文化に発展していきます。

将軍に献上したのが保科正之か、後世の藩主かは、今のところ判明しませんが、
信州高遠こそが、信州そばの聖地だったことでしょう。

ちなみに
私の住む小諸では信州小諸の初代藩主だった仙石秀久が、信州上田藩に移封して、さらに後世が兵庫県出石藩に移封して、
出石そばに発展していったようです。

他にも信州川中島藩から越前そばに、そして越前そばから、出雲そばにと発展したという説もあります。

このあたりが、信州そばは全国の蕎麦のルーツであると言われている根拠ですが、
もともと全国で蕎麦は栽培していたでしょうから、
戦後に信州そばブランド作り上げた人たちのマーケティング戦略であり、うまいなーと思います。

■そば粉の販売について

今期は2015年秋の信州産玄そば不作の為、100kgのみの仕込になってしまったため、
大変申し訳ありませんが、店頭での販売、かつおひとり1kgのみの販売となっております。

■信州への旅行の際は、寒ざらし蕎麦を堪能ください。

昨年より信州せいしゅん村様は寒ざらし蕎麦を提供する農家レストランを開業いたしましたので、
長野県上田にご旅行の際は、是非お立ち寄りください。
(今季は限定数の為、ご予約をお願いいたします。)

談笑コミュニティ 交流の駅《たけし》 農家レストラン 里の食
〒386-0503
長野県上田市武石沖669-2
tel.0268-41-4141
fax.0268-41-4078
http://www.murada.com/

この記事を書いた人

大西製粉店長のアバター 大西製粉店長 大西製粉5代目

大西製粉5代目社長 大西響
霧下蕎麦の名産地として知られる長野県小諸市で、そば粉専門の粉屋を営んでおります。地元の良質な蕎麦を全国のそば打ち愛好家様にお届けできるように、日々奮闘しております。

奥深い蕎麦の世界、知れば知るほどその面白さは増していくようです。 どうぞ細く長く縁起の良し蕎麦のように、末永くお付き合いください。

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